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#039

2025.02.13

自分の「武器」を増やすために進学した大学で、
全挑戦をガクチカに変え、夢に一歩踏み出す。

経済学部 経済学科髙野 達広 さん

本学の就職実績の中でも珍しいエンターテインメント業界への就職を果たした髙野さん。そんな彼が幼少期から12年間打ち込んできたのはバスケットボール。ところがコロナ禍で、思いがけず小説やアニメ、漫画の世界に触れ、その後「編集者」という仕事への憧れが芽生えました。その夢を叶えるべく、大学生活では色々な経験を重ね、就活でガクチカとしてアピール!バスケで培ったスポ根魂と、夢への揺るぎない思いを胸に取り組んだチャレンジの数々について、経済学部がある名城公園キャンパスでインタビューしました。


バスケ中心の高校生活が一転。休校でぽっかり空いた心に沁みた二次元の世界。

バスケットボールをやっていた姉と兄の影響で、幼稚園児の頃からボールに触れ、小・中学校で夢中になりました。思いがけず才能が開花し、高校はスポーツ推薦で進学。地元・福井の中でも有数のバスケ強豪校だったこともあり、毎日部活に打ち込んでいました。

そんな高校生活も残り1年ほどになった2年生の2月。朝学習の一環で読書が始まりました。バスケ一筋で読書の習慣もなければ、本も持っていない。国語の教科書でも読んで過ごそうとしていた時に、友達が貸してくれたのがライトノベルでした。その名も『青春ブタ野郎』シリーズ。女の子のキャラクターが大きく描かれた表紙に、衝撃的なタイトル。とりあえず朝学習をやり過ごすべく読み始めたのですが、気づいたら読破していました。想像の斜め上をいく面白さに惹き込まれながら1ヶ月が過ぎようとした頃、突然、コロナの流行による休校が始まりました。当然ながら部活も中止。何をすべきか戸惑う日々を救ってくれたのが、ライトノベル作品のアニメ版でした。

▲中学に引き続き、高校時代もバスケットボールに打ち込みました。


地元の大学に進学した姉や兄の背中を見ながらも、県外に飛び出すことを決意。

これまで人気アニメや漫画は知っている程度に触れてきましたが、『青春ブタ野郎』シリーズのアニメを見て、思春期特有の感情の揺れやしんどさに共感。アニメの世界の広さと深さに驚き、あらゆる作品を貪るように見ました。こんなにも人をアツく、ワクワクさせるコンテンツがあるなんて。ステイホームにならなければ知ることのなかった新たな世界でした。

休校から始まった高校最後の年。バスケ漬けだった毎日は空白になりましたが、アニメ作品で心満たされたおかげで、卒業後の進路を決めなければいけない時期も、前向きに考えることができました。将来どんな自分になって、どんな道を歩みたいのか。バスケをしている時は存在意義を感じて、自信を保つことができていたけど、この先はそれ1本で通用するほど甘くないはず。それに2年の冬に”バスケ界の甲子園”と言われる全国大会「ウインターカップ」に出場して完全燃焼していたんです。だからこそ得意なバスケは武器にせず、進学にチャレンジして、新たな強みや可能性を見つけたいと思いました。

当時、僕の出身校は商業高校ながら進学者が7割。さらに姉・兄ともに大学進学していたことや、高校で学んだ簿記の知識なども役立つと思い、ビジネス系学部(商・経営・経済学部)を軸に大学進学を目指すことにしました。入学当時クラスで最下位だった成績も4位にまで上がり、指定校推薦で行ける大学の1つ、愛知学院大学の経済学部に進学を決めました。

▲実家を出ることに不安がないわけではない僕に、「頑張ってきなさい!」と言って背中を押してくれた両親。2人からの叱咤激励は、大学生活や就活中も大きな支えになりました。

▲6つ上の姉と3つ上の兄の背中を追ってきました。特に兄とは年が近く、遊びも就活の相談もよくするほどの仲。


勉強、資格試験、海外一人旅など、挑戦の原動力は「夢」のため。

地元を離れ、初めての一人暮らしとアルバイトを経験する中で、心の拠りどころはやはりアニメや漫画でした。その1つ『バクマン。』は、後々の就職活動で「周りとはひと味違うカッコいいことをしたい!」という就活の方向性を決めるきっかけになった作品です。特に心を鷲掴みにされたのが、登場人物の1人である敏腕編集者、服部。主人公である高校生漫画家コンビの担当として、ヒットを生み出す嗅覚と周囲を巻き込む力を持つ彼は、僕にとって「カッコいい働くオトナ」を体現した憧れの存在になりました。よし、将来の目標は編集者だ!それなら目指すべき就職先は出版社!そのためにもガクチカ(学生生活で力を入れたこと)を充実させねば!と、見つけた夢を目指す挑戦が始まったのです。

とはいえ、1にも2にも勉強が最優先。経済学部の授業では経済学の分析手法を身につける上で、数学の基礎知識(関数、微分、積分、統計学、確率など)は必須でした。ところが数学は苦手。特に経済を分析する視点であるマクロとミクロの理解は不可欠のため、数学が得意な友人の力を借りて乗り越えました。おかげで勉強意欲に火が付き、日商簿記にも挑戦。全体の合格率が3割前後の2級を取得できた時には、就活で履歴書に書けばアピールできるので、自分の武器を更新できたような気がしました。


また、初めての海外旅行にも挑戦しました。就活が本格的に始まる前に何としても経験しておきたいと、春休みに行きそびれてからウズウズしていたのです。思い立つやいなや航空チケットなどを手配して出発!この時の決断力と行動力については、もちろん就活でアピールしました(笑)。行き先は兄も旅行経験があるフィリピンへ、単身で2週間滞在。日本とは環境も言語も違う中に身を置くことで、自ら考えて判断・行動する力が鍛えられました。


プロの「仕事」とは、自分の「役割」とは何かを学んだ社長取材冊子の制作。

大小様々なチャレンジの中でも特に社長取材冊子の制作は、編集者になりたいという夢の一歩を踏み出す上で貴重な経験になりました。内容は、社長として活躍する愛知学院出身の卒業生にインタビューして冊子にするもの。学生主体で取材のアポ取りから、インタビュー、記事の執筆、紙面構成、デザイン指示まで、プロの編集スタッフやカメラマン、デザイナーの力を借りながら毎年作られています。

この企画についての学内掲示を見て応募したのは、2年生の秋学期。30名弱のメンバーが集まり、3-4人ずつチームに分かれます。僕は人材派遣や求人広告などを扱う人材業界の会社社長ページを担当。さらに3人体制の編集長の1人となり、表紙のデザインにも取り組みました。望遠鏡から「未来を見てみよう」というコンセプトで考えたビジュアルは、休校中に出会ったアニメからインスピレーションを受けたもの。将来を想像する楽しさを感じてもらいたくて、タイトルも『Mirai』に。議論を重ねながら複数のデザイン案を出し合っていく中で、きっと漫画や小説の表紙もこんな風に作られるんだろうな、と編集者になる自分の未来を想像してワクワクしました。

▲制作に携わった社長取材雑誌『MIrai』。写真左は表紙。写真右はチームで担当した社長ページ。


編集者として「つくる」仕事の面白さを知るのと同時に、働くことの厳しさも味わいました。それは取材依頼時のこと。メンバーが社長の名前を間違えて連絡してしまったのです。その後リーダーである僕のところに連絡が入りました。電話口で謝罪しながら、この失敗を何とか挽回せねばと「直接会ってお詫びさせてください!」とお願いしました。気持ちは伝わったはずですが、残念ながらお断りされました。本音を言えば、自分のミスではないのにお叱りを受け、取材も叶わず、悔しさが残る結果に最初は納得できませんでした。けれど自分が担った仕事と役割について冷静に考えるきっかけになり、自分事として責任を持って取り組むのが「仕事」なんだと実感できました。

有志で行う活動で、参加する学生も多種多様。取り組む熱量も様々です。そんな学生たちに対し、取材した社長の皆さんや制作をサポートしてくださった方々は社会で働く「プロ」として、初対面であるにも関わらず、どの瞬間も本気で向き合ってくださいました。指示通りに仕事を完遂するアルバイトとは全く違う、思いや考えをぶつけ合い、自ら考えて動き、作り上げた時間は僕史上最高の「ガクチカ」になりました。

▲他にも、各学科の代表として所属学科の魅力や大学生活などをアピールする「PR大使」にも立候補。オープンキャンパスなどで学部の魅力を高校生の皆さんの前でお話しました。


夢への扉は想像以上に狭くても歯を食いしばり、諦めたくなかった。

3年の秋から本格的に就活をスタート。目指すはもちろん出版業界です。大学生活で力を入れて取り組んだ自慢の「ガクチカ」を携え、誰もが知る大手の出版会社をはじめ、70社近くにエントリーしました。思うように書類や筆記試験が通過しなかったり、面接で弾かれたりしながらも踏ん張り続けましたが、結果は「全落ち」。限られた採用人数で、自分以上の学力のある学生がライバルになることは、頭で分かっていても編集者の夢が閉ざされた現実を受け入れられず、号泣しながら親に電話をかけました。

「当たり前やろ」。開口一番、親に言われた言葉です。「すんなり大手企業に入れると思っていたなんて笑っちゃうわ」と。突き放した言葉に涙も止まりました(笑)褒めるのではなく、叱ってこそ伸びる僕の性格を理解していたのでしょう。バスケで失敗して落ち込んでいた時も「やめちゃえ!」という親の言葉をバネに、「次は点取ってやる!」と宣言して実行してきましたから。尻を叩かれるたびに奮起する、根っからの負けず嫌いなんです。それでもドン底まで落ちて、メンタルの弱さを痛感したわけですが、自分の良さは立ち直りの早さ。12年間のバスケ生活で培っためげない精神と、両親からの愛ある叱咤のおかげで編集者に拘りすぎず、志望業界を広げることを決意。書籍・テレビ・映画・音楽・ゲームなどの幅広いジャンルの作品やサービスを通じて人々を楽しませるエンターテインメント業界に方向転換して、就活を再スタートさせました。


情報や実績がないなら自分で掴みに行く!スポ根魂でようやく手にした内定。

人生最大のチャレンジであり、初っ端から挫折を味わった就活。エンタメ業界も出版業界同様に狭き門で、有名大学に通う学生と土俵に立つことが常でした。特にグループディスカッションの自己紹介では、知名度のある大学名が飛び交う中、愛知学院と言っても無反応。内心、悔しさでいっぱいでした。自分なりに挑戦と努力を重ねてきた大学生活が認められていないような気がして卑屈になった時もありました。でもドン底まで落ちた時とは違います。「大学名が重要なんじゃない、自分自身で勝負するんだ」と割り切ってからは、「髙野達広」という人間が何者で、大学で何をしてきて、どんな思いを抱いて就活をしているかを「伝えきる」ことに集中しました。

加えて力を入れたのが、情報収集です。大学でもエンタメ業界の就職実績が少ないこともあり、求人はもちろんOB訪問も皆無。就活の流れもわからず試行錯誤していた時に実行したのが、就活中の学生への声掛けでした。物怖じせず、誰にでも話しかけちゃう性格なんです。コミュ力を発揮して、試験や面接に来ている学生達と仲良くなる作戦(笑)どんな会社を受けて、どんな風に選考が進んで、面接などで大事にすべきことは何かなど情報交換しながら、地道にエントリーし続け、落ちてなるものかと全力でアピールしました。

▲大学生活でのガクチカをまとめました。選考ごとにどんなことをPRすると、自分の考えや思いが伝わるかを熟考。これをもとに面接などに臨みました。


4年生になり、粘り続けた結果が表れ始めました。ゲームソフトの製作・開発企業から内定をいただきつつ、最終的に日本を代表するエンタメ企業、松竹株式会社に就職が決定。東宝や東映と並ぶ「御三家」と呼ばれる老舗企業で働けるなんて…!自信を持って、自分を信じ続けて良かった。胸がアツくなるのを止められず、家族をはじめ、20人以上に電話をかけてしまうほど嬉しさが爆発しました。その一人が友人の藤澤くんです。バスケを通じて知り合い、中学時代はライバル、高校時代は戦友として共に切磋琢磨し合った仲。大学生になっても友人関係は続き、特に就活中は落ちるたびに連絡をしていました。落ち込む自分の話を聞きながら、改善点を挙げてくれたり励ましてくれたりと、親身になって背中を押し続けてくれた藤澤くん。松竹(株)から内定をいただけた時も、自分事のように喜んでくれたのを今でも鮮明に覚えています。

▲就活中、家族以上に支えてくれた藤澤くん。これからも良き友人として交流が続くことを願っています。ありがとう!


「オンリーワン」の人間になって社会で活躍できるように、有言実行を続ける。

内定後、就職先の人事の方に採用理由をお聞きすると、コミュニケーション力が頭1つ抜けていたということでした。話がわかりやすく、面白かったと。大学に進学し、勇気を持って挑戦し続けてきたという「自信」があったから、ガクチカとして就活で生き生きと話すことができたのだと思います。取り組んできた全てがつながって自信になる。自信は行動から生まれるものだと再認識しました。

高校までは、得意のバスケを続けているだけで開けた進路。振り返れば、目標を掲げても行動しなかったことが多々ありました。だからこそ大学ではその得意を封印し、言葉にしたことはすべて逃げずに行動しようと心がけました。もちろん結果が伴わなかったこともありますが、挑戦しなければ何も残らなかったはず。どんな現実や壁にぶち当たってもくじけず、挑戦し続けることがいかに大切かを就活を通して気付くことができました。

▲大学生になってもバスケが好きな気持ちは変わらず、自らサークルを立ち上げました。大学近くの中学校の体育館を借りて活動するうち、自分たちの力を試したいと思うように。大学サークルを応援する会社(株式会社セカンドステージ)主催の宿泊型バスケ大会に参戦し、準優勝を勝ち取りました!


就活を始めるにあたって、僕たちの世代はおそらく70歳くらいまで働くことになるだろうと想像しました。卒業後50年近く働き続けるなら、楽しいことや好きなことを仕事にしたいし、誰かと同じではなく、人とは違うカッコいい働き方や生き方を目指したい。僕自身「編集者」という夢を見つけたことで、大学生活で挑戦と行動を続けることができました。

どんなに些細な目標でも、逆に高すぎる理想であっても、それを持つことで挑戦しようというエネルギーが生まれます。身を持って経験した人間が言うから間違いありません!これから進路に迷ったり、叶わず落ち込んだりすることもたくさんあると思います。だけど、叶えられる現実だと思えば努力を続けられるはず。僕も編集者への夢を完全に諦めたわけではありません。新社会人としてひと足先に踏み出しますが、努力と挑戦の歩みは止めず、新たなステージでも走り続けます!


これからも愛知学院大学のホットなトピックスを配信して行きます。
お楽しみに!
また今後、取り上げてほしいテーマなどありましたら、
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