MENU

#043

2025.10.21

大学でアルティメットを始めて日本代表に!
夢中になるうち、挑戦心が加速!

健康科学部 健康科学科高橋 隼人 さん

幼少期からサッカーや陸上に打ち込んできた高橋さん。高校時代は思いがけないケガに見舞われながらも、スポーツに対する情熱や興味は変わることなく、大学進学を目指して取り組んできました。そんな高橋さんに転機が訪れたのは大学入学後すぐ。「アルティメット」という新たなスポーツとの出会いでした。これをきっかけに大学生活がどのように充実し、将来の可能性が広がったのか。高橋さんが学ぶ健康科学部 健康科学科がある日進キャンパスでインタビューしました。


フライングディスクを使った7人制のチームスポーツ「アルティメット」。

僕にとって「スポーツ」は生活の一部。そう言ってもいいくらい、僕のスポーツ人生は、4歳頃から始まりました。兄と一緒にサッカーチームに入り、続けるうちにサッカーで速く走れるようになりたいという思いから、小学4年時に陸上にもチャレンジ。両方とも中学卒業までクラブチームで活動を続け、サッカーだけは高校でも継続してきました。トータルで約13年。大学生になっても変わらずやりたいこと=スポーツである僕にとって、「アルティメット」との出会いは必然だったのかもしれません。


一般的にフリスビーという名称で知られるフライングディスクですが、このディスクを使った競技が、世界公認と日本公認あわせて12種目あります。「アルティメット」はその中の代表的な種目の1つで、7人対7人で行うチーム競技。サッカーのフィールドよりも狭い100m✕37mのコート内で、ディスクを投げてパスをつなぎ、相手側の得点エリア(エンドゾーン)でキャッチできれば得点になります。

愛知学院では、2026年に創部50年を迎える【フライングディスク部】でアルティメットを行っていました。新入生向けの部活・サークル紹介でそのことを知った時、直感的に「コレだ!」と確信したのです。なぜなら、大学でスポーツを続ける条件として「相手選手とぶつからない競技で」という母からのお願いがあったから。実は高校時代にサッカーで、人生最大の大ケガをしてしまったんです。しかも2回も(苦笑)。心配をかけ、回復するまで支えてくれた母の言葉を念頭に置きつつ、部活紹介を見ていると、「アルティメットって面白そうじゃない?」という母からの言葉もふいに思い出したんです。アルティメットなら攻守入れ替わりながらパスをつなぎ、得点するサッカーに似ているし、何よりプレー中の接触の心配がない。即座に入部を決意し、大学で新たなスポーツ人生が始まりました。


アルティメットへの転身のきっかけは、高校時代に経験したサッカーでの大ケガ。

高校時代の思い出といえば、やはり2度の大ケガに尽きます。1度目は1年生の12月。念願だったサッカー部でひたすら打ち込む中、相手選手と接触して足首を骨折してしまったのです。さらに、内くるぶしの靭帯まで切れて即手術。人生初の大ケガで、想像をはるかに超える激痛を経験したにも関わらず、サッカーが好きだという気持ちは変わりませんでした。サッカーは自分を形作る「軸」。そう気づいてからは懸命にリハビリに励みました。3ヶ月後、ようやく部活に復帰できると思った矢先、今度は新型コロナウイルスによって学校が臨時休校。部活動も休止になりました。2年生になり、自分たちが部活を引っ張っていく存在として様々な大会に出場するはずが、すべて中止になるなんて…信じられませんでした。それでもたくさんの先生方のおかげで、人数を制限しながら練習だけは続けることができ、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

3年生になるとコロナ禍が落ち着き始め、インターハイの予選など様々な試合が再開。そして、集大成である「全国高校サッカー選手権」の愛知県大会に向け、僕自身ベストコンディションに近づきつつありました。ところが本戦1週間前。最終調整のために臨んだ最後の公式戦で、再び大ケガをしてしまったのです…。今度は左顔面の骨折。顎から頬骨、耳にかけて陥没するほどで、手術と入院は必須でした。スタメン入りして、高校最後の大舞台で花咲かせるぞ!と気合十分だっただけに、すべての力が抜けるような思いでした。ケガにより大会出場は断念。高校3年間の部活が終わりました。


陸上やサッカーを長年やってきて、「スポーツ」は進路選択から切り離せない軸に。

大学進学について具体的に考え始めたのは、コロナ禍の真っ只中の2年生の時です。以前は関東や関西エリアへの進学を考えていましたが、1度目の大ケガで日常生活すべてを家族に支えてもらい、コロナ禍もあって県外で一人暮らしする不安も生まれました。そこで進学先は愛知県内で、スポーツに関連した心理学や栄養学を学べる大学を探すことに。そのことを母に話すと「もし大学で教職もとれるなら、国語より保健体育の先生の方が向いているかもね」と言われたんです。その一言で心理学よりも、栄養学などのスポーツに関わる学びの方が自分に向いているかもしれないと感じました。他にも学校の先生からのアドバイスや、オープンキャンパスに参加した友人から情報共有してもらう中で、最終的にスポーツ栄養学への興味、通学のしやすさ、施設の充実度と、当時の学力を総合して愛知学院大学の健康科学部を選択。学校推薦型選抜で受験・合格しました。


自分の体を使って「試す」。実技形式の講義やゼミがとにかく面白い!

健康科学部の講義は、長くスポーツをしてきた分、興味をかき立てられる内容ばかりでした。スポーツや健康に関する基礎知識をベースに、運動学、生理学、心理学、栄養学、体育の実技など、様々な分野の知識を幅広く学べる上、体感して理解する形式が自分に合っていると感じました。そんな実践形式の講義の1つが、スポーツでケガをした時に用いるテーピングの実習です。どんな不具合に対してどう処置(固定)すべきかを考え、実際に自分や相手に巻いてみることで、巻き方や巻く強さといったテクニックを学びます。授業で残ったテーピングは練習用に使用でき、スキルを磨く上でありがたかったことを覚えています。

3年次から始まるゼミでは、運動栄養学や運動生理学について研究する長崎先生のもとで学んでいます。興味を持ったきっかけは、先生が担当する「健康スポーツ栄養学」の講義。先生自身の研究や研究結果をもとにした内容に加え、研究事例の1つとして先生のお子さんについて紹介することもありました。サッカーをしているお子さんに対し、試合前に食事や飲料を通して、どんな栄養を、どれだけ摂ると、プレーにどんな影響が出るのかを実験。お子さんの感想がリアルな点も面白く、スポーツ栄養学をぐっと身近に感じられた講義でした。

念願の長崎ゼミに所属後は、名古屋市と大学が連携して行う高齢者向け健康教室について企画から当日の運営や指導に取り組んだり、ゼミ恒例の実験的な学びも経験しました。ゼミ生それぞれたんぱく質(焼肉)のみを摂取した場合と、炭水化物(ごはんなど)のみを摂取した場合、その後どちらが自転車を漕いだ際に高いパフォーマンスが出るのかを測定する実験です。焼肉は「スタミナ食」と言われるくらい栄養素を豊富に含んでいるため、肉のみを食べる方がパフォーマンスが高いと想像しがちですが、実際にやってみると講義に集中できないほど力が湧かないんです。やっぱり体と脳を動かすために必要なエネルギー源=糖質を含む炭水化物を摂取しないと、気持ちが下がって身体にも影響が及ぶ。長崎ゼミで「自分の身を持って理解する」ことを学び、探究心を刺激されています。


アルティメットで再認識した「スポーツマンシップ」によって、教職の道も挑戦。

大学で心機一転、アルティメットに転身してからは、やればやるほどハマっていきました。アルティメットの面白さは言い出したら止まらないくらいですが、特に「セルフジャッジ」は他のスポーツにはない大きな魅力です。試合では基本的に審判は不在。プレー中にルール違反などが見受けられたら、選手同士で都度話し合って決定・進行します。試合後は相手チームと輪になって「あなたのこういう行動によって気持ちよくプレーができた」など、お互いを評価し合うんです。試合中やその前後も対戦者同士が尊重し合い、理解し、責任ある振る舞いを第一にする「スピリット・オブ・ザ・ゲーム(SOTG)」。この基本姿勢をセルフジャッジを通して学んだことで考える力と対話力が向上し、スポーツに対する考え方や取り組み方を180度変える経験になっています。

アルティメットとの出会いをきっかけに、これまでのサッカーや陸上の経験を振り返って「目標に向かって全力で楽しんで取り組む大切さ」、「スポーツをする相手をリスペクトしてプレーする重要性」を子どもたちにも伝えたいと思うようになりました。そこで学部学科の講義と並行して、教職課程も履修。4年次の春学期には母校で教育実習を受け入れていただき、無事に終えることができました。慣れ親しんだ高校で、お世話になったサッカー部の先生方がいる中、のびのびと挑戦することができました。


陸上クラブでの指導のアルバイトにも挑戦。アルティメットの裾野を広げたい!

アルティメットや教職に加え、大学生になって挑戦したことに、小中学校でお世話になった陸上チームでのアルバイトがあります。1年次から週2-3回、小学生に陸上の基本的な身体動作や走り方などを指導しています。かつて指導してもらった場所で、まさか自分が「教える立場」になるなんて思わなかったけれど、教職を履修していたこともあってやりがいを感じました。

指導の合間には、子どもたちにフライングディスクを体験してもらうこともありました。興味を持ってくれる子が多数いて、そんな子どもたちの思い思いに飛ばす姿や、キャッチできて嬉しそうな様子を見るうち、使命感のような気持ちが湧いてきました。アルティメットはまだまだ認知度の低いマイナー競技。だからこそ、実際に触れる機会が少しでも増え、いつかチャレンジしてもらえたら…。そんな目線を持つようになったのも、アルティメットが自分にとって欠かせないものになっているからだと思います。


就職は、アルティメットを突き詰める選択にシフト!とことん挑戦したいから。

僕が入部した当初、新入部員は6-7名でしたが、同じくフライングディスク部のある愛知淑徳大学と共同で部員集めや広報をするうち、3年間で両大学の部員が男女総勢70名を超えました。競技仲間が増え、地区選抜レベルの実力がアップしていくのと同時に芽生えたのが、一選手としての自分自身のレベルアップ。そこで目指したのが、アルティメットの【日本代表】でした。

【日本代表】は4種類の部門に分かれます。その中で僕が挑戦したのは、「U24」と言われる18〜23歳対象のオープン(男子)部門。日本代表選考会を受け、地区選抜練習会に参加するのですが、愛知県からの選出は3名のみ。狭き門を突破して選ばれた時の喜びは、今でも忘れられません。その後の世界大会出場に向けた合宿活動が始まると、主に活動が行われる関東方面へ毎週のように代表メンバー達と相乗りして向かいました。期間中の半年間は、心身共に疲れ果てましたが、高いレベルの中で技術を磨くことができ、アルティメットに全集中して取り組めた貴重な時間でした。

そして世界大会を経験して発見がありました。それは、日本語でのコミュニケーションが戦術的に優位になるということ。英語が公用語の国が多い中、試合中に日本語で指示を出し合っても対戦相手に伝わることは皆無。アルティメットにおいて日本語が武器になるなんて、新たな魅力と奥深さに気づくことができました。

こうして日本代表を経て、ますますアルティメットを極めたいという思いが強くなりました。そのため就職は教職一択から、より練習や試合に出場する時間を確保するために一般企業で働きながら競技を続ける道に変更。どうなるかはわかりませんが、全力で取り組むつもりですし、やりきった後、もし教員になるチャンスが訪れたら再び目指したいと考えています。


未来への可能性は、様々な「一歩」を経験して生まれ、広がっていく。

日本代表で得た技術や知識は、積極的に部の後輩たちに伝えています。またアルティメット部のある他大学とのネットワークが広がったことで、練習試合や交流などが生まれ、部全体のレベルアップにもつながったように思います。

アルティメットを始めて思い出したことがあります。幼い頃に陸上クラブのコーチから言われた「いろんな人と関わりなさい。人脈を広げることは大事だから」という言葉です。もともと人と話すことは好きでしたが、セルフジャッジでの話し合いを経験して、様々な視点で考えられるようになり、それは物事を取捨選択する上でとても役立っています。考えをしっかりと言葉にする力を求められる環境だからこそ、相手はもちろん自分に対しても誠実に向き合うこと。大学生活を振り返ると、どんな状況でもスポーツマンシップを第一とするアルティメットに取り組んだことで、自ら判断する力や、自らの行動と選択に責任を持つ意識が磨かれました。

愛知学院は様々なことにチャレンジできる機会に溢れている大学ですが、僕にとっての大きな挑戦がアルティメットでした。ルール1つ知らないところから始めて、無我夢中になるうちに可能性は広がって、より高みを目指してチャレンジした日本代表。いろんな価値観や考えを持った人たちと出会い、関わり、人脈も視野も広がりました。想像を超える成長ができた大学生活は、かけがえのない時間になっています。
ゼロからのスタートでも思いきって飛び込んだ先には、思いがけない未来が待っている。それに、大学進学は慣れ親しんだ環境やコミュニティから一歩踏み出すチャンス。「新たな自分を見つける挑戦」をたくさんしてほしいなと思っています。


これからも愛知学院大学のホットなトピックスを配信して行きます。
お楽しみに!
また今後、取り上げてほしいテーマなどありましたら、
リクエストください。

リクエストする!