#012
2022.02.03
東京2020パラリンピック出場。
それは、“奇跡と奇跡をつなぐ出来事”だった。
総合政策学部 総合政策学科 4年石田 駆 さん
「もうトラックを走れなくなるかもしれない。」中学から続けてきた陸上が大学1年に、突然発症した「骨肉腫(こつにくしゅ)」によって遠い存在になりかけたと語るのは、本学総合政策学部総合政策学科に在籍している大学生アスリートの石田駆さん。2021年にパラリンピック出場を果たしたことは、メディアでも多く取り上げられています。本学で過ごすなかで病気とどのように向き合い、乗り越え、世界の大舞台に立ったのでしょうか。その時々の心境やこれからの夢について石田さんにインタビューしました。
今でも目を閉じると鮮明に蘇る… 世界を相手に戦ったよろこびと興奮。
2021年夏、自分が選手としてパラリンピックという大舞台に立つなんて、3年前まで想像もしていませんでした。
パラリンピックでは400m・100mに出場させていただき、100mで決勝に進むことができました。中学時代から陸上に没頭し、パラ陸上という新たな世界に踏み入れてから2年半。結果は5位入賞でしたが初出場で日本記録も更新することができ、世界を相手に戦ったよろこびと興奮は今でも体に染みついています。
開会式では、翌日以降のコンディション維持のために、話題になっていた車いすパフォーマンスを見ることができなかったことが少し残念でしたが……。4年に1度のスポーツの祭典を実感して楽しむこともできましたし、周りのみなさんだけではなくSNSなどを通しても多くの方からいただいた応援の言葉がとても励みになり、本当に感謝しています。
撮影 日本パラ陸上競技連盟
仲間たちからの寄せ書き
入学した矢先、病気が発覚。 逆境を乗り越え、半年で「奇跡」の競技復帰。
左上腕に違和感をおぼえたのは、愛知学院大学に入学して間もない頃。大学の競技場で走っている最中でした。腕を振っていると「脇付近の当たり方が何かおかしい」と思い、病院へ。検査を受けると告げられたのは「骨肉腫(こつにくしゅ)」との診断でした。医師からは「手術をしたら腕が動かなくなる可能性もある。陸上はあきらめないといけないかもしれない」と告げられ、全日本インカレ出場を目標に大学進学をした矢先のことだったので、正直かなり困惑しました。それでも「陸上を続けたい!」という思いは強く、さまざまな治療法の中から腕を残す選択に。腫瘍の摘出と左肩に人工骨を入れて周辺の筋肉をとるという前例がない大きな手術を受け、懸命なリハビリや「どうしたら左肩を補いながらうまく走れるか」と研究に励みました。その甲斐あって、手術(2018年6月)から、半年(2018年12月)で競技に復帰。その後の大会で数々の成績をおさめ、パラリンピックに出場(2021年8〜9月)することができました。
今でも、左腕には機能と可動域に後遺症が残っているため、器具を装着してフォームのバランスやスタート時の体勢を調整しながら挑んでいます。でも復帰当初は「転んでしまわないか」「元のように走れないんじゃないか」と恐怖を感じていました。しかし、さまざまな人に支えられて逆境を乗り越え、今の僕がいます。自分一人では耐えられなかったかもしれません。もちろん苦労は多かったのですが、病気を発端に、競技の活動エリアが東海から海外まで広がり、関わる人も増え、自分との向き合い方が変わりました。パラリンピックへの出場もしかり、こうした奇跡と奇跡をつなぐ出来事になったと感じています。
左)手術後 右)骨肉腫の発症時
ここはまだ、通過点。 目指すは2年後、6年後。
僕が挑戦している400m・100mはどちらも個人競技ではありますが、どんな時でもチームメイトやライバルがいるものです。コロナで部活動ができなかった時は自主練習という形になることが多かったのですが、自分のモチベーションを上げるため、試合の雰囲気を作るためにも支えあったり切磋琢磨しあったりできる存在はやはり欠かせませんでした。
そんな心強い仲間たちを背中に感じながら挑戦した初めてのパラリンピックは、自分にとってまだまだ通過点。見えてきた課題もたくさんありました。まもなく社会人になり、練習環境やともに戦う仲間は変わっていくかとは思いますが、今見つめる先にあるのは2024年のパリパラリンピックに出場し、400m・100mの2種目でメダルを獲ること!また、更には6年後のロサンゼルスでのパラリンピックも見据えながら体の使い方を研究し、日々練習やトレーニングを重ねています。
世界を見たその眼差しの先に、 未来へと続く夢がある。
病気を経験して、家族や医療関係者、大学の仲間、高校の恩師などいろいろな人に支えていただいたことで見えてきた夢もあります。それは、今度は自分が誰かのために行動すること。つまり、社会貢献に力を注ぐことです。
発症からパラリンピックの舞台に立つまで約3年という短期間で、たくさんの葛藤と試行錯誤を繰り返してきました。そんな自分にしか伝えられないことがあると思い、現在でも練習の合間を縫って、母校や近隣の教育機関で講演会を開催させていただいています。
また、就職先となるトヨタ自動車株式会社は、社会貢献も数多く行っている企業です。将来的にはパラアスリートという視点を持ちつつ、総合政策学科の講義や研究で興味を持った自然環境や外交関係の知識も生かし、世界的企業の一員として社会貢献事業に携われたらと思っています。
これは、いつか大好きな陸上競技人生を終えたあとも、「ずっとやっていきたい」と思っている僕の人生の目標です。