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#037

2024.11.13

私のレシピは通用する?世間の評価は?
コンテストへの挑戦は管理栄養士への道をたぐり寄せた。

健康科学部 健康栄養学科鎌田 茉鈴 さん

鎌田さんが大学4年間を通して挑戦し続けたのは、様々なレシピコンテスト。愛知のご当地グルメのアレンジから、地産地消スイーツ、減塩メニューまで、参加する度にレベルが高くなってもなお挑戦し続けたのは「管理栄養士になりたい」という揺るぎない目標があったから。管理栄養士を目指すようになったきっかけや、レシピ考案に情熱を注いだ大学生活についてインタビューしました。


病気になった祖母と、元気になる食べ物を必死で探す母を見ていた中学時代。

管理栄養士を目指すようになった大きなきっかけがあります。中学2年生の時、最愛の祖母が亡くなったのです。大腸がんでした。当時祖母は60代でしたが、入院するとみるみるうちに元気がなくなり、食事も摂れなくなっていきました。そんな姿を間近で見ていた母は、毎日のように体に良い食べ物や食事についてインターネットで調べ、病室に持っていくほど必死でした。家族みんな願っていた祖母の回復。母は誰よりも強く信じていてだけに、祖母を亡くした喪失感と悲しみは痛いほど伝わってきました。もしあの時、インターネットの情報ではなく、祖母の病状を踏まえた食の相談ができる専門家がいたら、母の不安な気持ちも少しは和らいだのではないだろうか…。この時の思いが後に、高校で進路を決める際の大きな軸になったのです。


病気に苦しむ人をどうやって支えたい?職場体験を経て確信した進路。

お菓子作りが好きで、将来は調理に関わる道に進みたいと中学時代から考えていました。そんな時、いつも朗らかで家族を優しく包み込んでくれた祖母を亡くし「患者さんはもちろん、支える家族も支援したい」という思いが強くなりました。そのことを母に話すと、体をつくる「もと」になる食べ物について知ることは、自分の体を大事にする上でも良いのではという答えが返ってきたのです。母の言葉をきっかけに知ったのが、栄養や食事面から様々な人たちを健康へと導く「管理栄養士」という仕事。目指すなら大学で専門的に学ぶ必要があるため、大学受験にしっかりと取り組める高校を選びました。

それでも迷った時がありました。祖母のこともあり、看護師も良いなと思ったのです。ところが高校の職業体験で実際に経験してみると、患者さんの回復のために医師の指示のもと診療や治療の補助を行うのはもちろん、食事援助や排泄介助などの業務の幅広さとハードさに圧倒されてしまいました。看護師という仕事は素晴らしいけれど、私がしたい支援とはやっぱり違う。その時やりたいことが明確になり、管理栄養士を目指す決意が固まりました。


コンテストに挑戦する度、自分のレシピが通用するのかどうかさらに試したくなった。

愛知学院大学の健康科学部 健康栄養学科は、進路選択の時から第一志望でした。理由は卒業生の就職先を調べた時に、病院はもちろん、食品メーカーや施設、学校など様々な選択肢があったから。病院で管理栄養士として働きたいけれど、学ぶうちに変わるかもしれない。大学でしっかりと学んだ上で決めたかったからこそ、愛知学院の就職先の幅広さは、他大学と比べて大きな安心感につながりました。

大学では栄養、食、健康に関する基礎知識から、食と健康を取り巻く課題、人体の構造や機能、疾患の成り立ちなどについても学び、夢中になりました。調理実習も基礎から応用まで取り組み、100食分を作る大量調理などの実践力を養う授業も面白く、次第に学んだ知識や経験がどれだけ通用するのかを試したいと思うようになりました。2年生になり、友達とチームを組んでレシピコンテストに初めて参加しました。郷土料理をベースとして、地元産の食材と調味料を必ず使ったレシピを提案する『ご当地タニタごはんコンテスト -ヘルシー郷土料理でまちおこし-』でした。


テーマは「タニタが考える健康的な食事の目安」に基づき、郷土料理を現代風にアレンジすること。「目安」とは1食あたり500-800kcalにすることをはじめ、6つの条件をクリアする必要がありました。その中で私たちが考案したレシピは「揚げない味噌カツカラフル焼き野菜添え」。使う油を減らすことでカロリーを押さえつつ食べごたえを出し、野菜もたっぷり摂れる工夫をしました。書類選考を通過後、全国大会まで出場!残念ながら優秀賞は逃しましたが、レシピの内容はもちろん、何をどのようにアピールすると工夫点がより伝わるのか、プレゼンテーションの方法やスライドの作り方についても勉強になりました。

▲つづいて2年生の後半に参加したのは、愛知県主催の『食育レシピコンテスト』。鎌田さんのチームは参画企業である(株)おとうふ工房いしかわとコラボし、絹ごし豆腐と豆乳に加え、日進市の米粉、蒲郡みかん、八丁味噌を使用した「お豆腐みかんマフィン」を考案。地産地消かつアレルギーにも配慮し、安心で健康的なお菓子を目指したそう。


何度も試作して、試行錯誤して。やると決めたらやりきるのが私だから。

より「健康」に直結するレシピを求められたのが、3年生の時に参加した国立循環器病研究センター主催の『おいしい減塩レシピコンテスト S-1g(エス・ワン・グランプリ)大会』でした。日本人1日あたりの平均塩分摂取量は10g以上と言われるなか、私たちの食生活は今、塩分過剰が問題になっています。その結果、高血圧による脳や心臓の疾患も増える一方。そのため考案するレシピでは主菜に使える食塩相当量はたった0.5g。食塩の使用をいかにおさえながら、美味しさや満足感を損なわず、「病院食」であっても患者さんが楽しみながら食べられるレシピを提供できるかが最大のポイントでした。


友達と一緒に参加を決め、レシピを考え始めたのは夏頃。主菜に使う魚や肉は生の状態でも食塩が含まれ、種類によって微妙に量が違います。1つ1つの食材について特徴を調べ選択し、どんな栄養素を取り入れ、どんな味付けが良いかを何案も出して検討。最終的に鶏ささみをメインに、見た目も華やかにトマトソースとアスパラとキノコを添えたレシピに決定しました。食塩量が少ない鶏ささみを選んだ分、カレー粉を使って風味を出し、トマトソースにはサツマイモとりんごで酸味を和らげてボリューム感もアップ。隠し味に赤味噌を使うのも話し合いから生まれたアイデアです。

試作しては先生方に意見をもらいながら、応募締切までの2ヶ月間は学校と自宅で再考・試作の繰り返し。制限があるからこそ創意工夫を重ねる大切さを実感しつつも、これまで参加したコンテストの中で1番苦戦したのは確かでした。それでも努力を続けたのは、病院の管理栄養士として働くことができたら、栄養指導でレシピを提案することもあるはず。その時に減塩食レシピで得た知識は、必ず患者さんに役立つと感じたからです。さらに、1度決めて始めたことは投げ出せない、という自分自身の性格も挑戦意欲を高めたのかもしれません。

▲コンテストを主催する国立循環器病研究センターは、心臓血管部門と脳血管部門それぞれが連携して、専門的治療と研究を行う施設。コンテストは2013年度から開催しています。


減塩レシピのコンテストで金賞受賞!メニューが病院食の献立にも採用。

私たちのチームが考案した「鶏ささみ〜秋の味覚ソース〜」は書類審査を通過し、全国大会への出場が決まりました。大会では制限時間内にその場で調理し、審査員による試食審査が行われます。調理の役割分担を決め、練習を重ねていざ本番!そして信じられないことに「国循賞(金賞)」を受賞し、自分史上最高の賞を獲得できたのです!決して自分ひとりでは成し得なかった結果に、大きすぎるほどの達成感と自信を得ることができました。仲間と知恵を出し合って作り上げたレシピは、受賞後しばらくして実際の病院食として定期的に出されることになったと連絡をいただいたのは、何よりも嬉しい知らせでした。なぜなら、自分のレシピで入院患者さんを喜ばせたい思いもあって参加したから。選択メニューとして提供した際には、病院からも患者さんからも好評だったそうです。患者さんの笑顔と健康を支える一助になるなんて…。仲間と一緒に1つの目標に向かって諦めず、やり遂げることができ、本当に良かったと心から思いました。

減塩レシピのコンテストの全国大会と同時期に行われたのが、健康栄養学科と株式会社 明治がコラボしたバレンタイン企画『未来の健康を育てる“食育教室”』です。イベントに参加した親子へレクチャーしながら、一緒に作りました。私が考案したのはチョコういろう。多くの人がレシピに触れ、作って、味わって、広がる。「美味しい」という思いを感じ合えることが、管理栄養士の仕事において大事なことだと実感しました。


机上の栄養知識だけではわからなかった。管理栄養士として必要な本当の役割。

4年生になると大学の附属病院に受診している患者さんにご協力いただき、栄養指導の実習(健康管理総合演習)を行いました。担当する患者さんの病状は血糖コントロール良好の糖尿病。3人1組になって、月1回30分という短時間の中で、普段の食事内容や量、間食頻度などを詳しく聞き取り、患者さんの生活習慣を踏まえた栄養摂取の方法や運動について、情報を整理した上で的確に指導しないといけないのですが…これが想像以上に難しい。糖尿病の食事療法で大事なのは血糖値を安定させ、栄養バランスを保つこと。数値や理論を伝えて単に「やりましょう」とアドバイスをしても、制限が多いだけに苦しく、患者さんはなかなか行動に移せないものです。そういった気持ちを汲み取りながら、前向きに継続できるような「心のサポート」があっての栄養指導だと実感しました。患者さんが心を開いて何でも話せるよう、信頼関係をしっかりと築ける管理栄養士にならねば!背筋が伸びる思いで実習に取り組んでいます。


就職活動を通して気づいた自分の良さ。ここだ!という場所にようやく辿り着いた。

授業や実習、コンテストでの経験を経て「病院で管理栄養士として働きたい」という気持ちは揺るぎないものになりました。3年生の冬から始めた就職活動では食品会社などから内定をいただきつつも、4年生の春から始まる病院採用試験に目標を再設定。愛知県と地元の三重県の病院あわせて10件以上見学しましたが、先着順ですぐに埋まってしまうほどの狭き門。加えて採用試験は専門試験や小論文などもあるため、情報収集と就職試験の勉強も並行しながら、なかなか合格できない苦しい日々が続きました。

今度こそ心が折れてしまうのではないかと思いながら見学に行ったのが、愛知県刈谷市にある急性期病院。緊急度や重症度の高い患者さんを受け入れる700床もある総合病院です。そこで働く管理栄養士の話に感銘を受けました。それは「社会に出ればいろんな人がいて、自分にとって苦手な人や嫌いな人ももちろんいる。その中でも管理栄養士は、病院内外の様々な職種の人たちと連携して患者さんをサポートしていくのが仕事。たとえ苦手な相手でも、上手く付き合っていくことを大事にして取り組んでいる」と話してくださいました。私自身、小さい頃から好き嫌いで区別せず、誰とでも接するように心がけてきました。病院はチーム医療。管理栄養士としての知識やスキル向上のためにも、いろんな専門知識をもつ人たちと関わることの重要さを再確認し、同じ思いで実践する人のもとで働きたいと強く感じました。病院への就職を目指し続けて約半年。大学生になってから愛知県で一緒に住んでいる今は薬剤師として働く姉と、家族にたくさん支えられ、憧れの管理栄養士がいる刈谷市の病院に就職が決まりました。

▲3つ上のお姉さんは薬剤師、5つ上のお兄さんは医師として病院で活躍しています。それぞれ祖母への思いを抱きながら、医療関係の仕事に取り組んでいます。


あっという間の4年間。大学生活最後の挑戦は、管理栄養士国家試験の合格!

残る挑戦は、就職までに管理栄養士の国家試験に合格するのみ!就職が決まっても合格しなければ管理栄養士としてスタートできません。大学生活最大の頑張りどころ。寝ても覚めても必死に試験勉強する毎日です。

あらためて大学生活を振り返ると、驚くほどあっという間でした。実社会で通用するレベルにまで知識と経験を引き上げることができた授業や実習の数々。大学で実践的に学んだからこそ力試しができたレシピコンテンスト。ひたすら自分と向き合って弱さと強みを確認できた就職活動。これから管理栄養士として働く上で、どれも欠かせなかった経験でした。大学生になって何事にも挑戦するようになったのは、乗り越える度に新たな挑戦が広がって、充実した時間が増えたから。目標に向かって努力することを諦めず、思うようにいかなくても自信を失わないメンタルを保つ方法も身につきました。管理栄養士という道を、一歩一歩しっかりと歩んでいけるように、これからも挑戦と努力を続けたいと思います。

これからも愛知学院大学のホットなトピックスを配信して行きます。
お楽しみに!
また今後、取り上げてほしいテーマなどありましたら、
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