MENU

#045

2026.01.15

リスペクトし、高め合った大学野球。
2人揃ってプロの世界へと羽ばたく。

心理学部 心理学科杉山 諒 さん

文学部 宗教文化学科河野 優作 さん

2025年10月、愛知学院大学硬式野球部より2名の学生が、プロ野球への入団が決まりました。千葉ロッテマリーンズに育成3位指名を受けた杉山諒さんと、読売ジャイアンツに育成4位指名を受けた河野優作さんです。より高いレベルの野球を目指していた2人が、どんなきっかけで大学進学し、どんな大学生活を送ってきたのか。それぞれが所属する心理学部心理学科と文学部宗教文化学科のある日進キャンパスでインタビューしました。


Q.はじめに、そもそも野球を始めたきっかけは何でしたか?

【杉山さん】小さい頃から「テレビに出たい!」という夢を持っていました。それが「野球選手として出たい」という思いに至ったのは、家族みんな野球が好きで、いつもテレビで野球中継を見ていたから。兄・姉・弟の5人きょうだいのうち、兄が高校球児で家の中に野球道具が溢れていたり、球場に観戦に行ったりする中で、ふと「今この瞬間、1人で打席に立つこのバッターをどれだけの人が見ているんだろう」と思ったんです。何万人、何百万人という人たちの注目を集められるのは、プロ野球選手だからこそ。こうして小学生の時から夢を持って野球に打ち込むようになりました。

【河野さん】僕の場合、同じ保育園だった子が野球をやっていて、親同士が仲が良いこともあり「よかったら優作もどう?」と誘われたことが始まりでした。当時は野球について何も知りませんでしたが、「面白いかも」と思い、小学1年生の時にクラブチームに入団。いろんなポジションを試したものの、左投げだと守れるポジションが限られてしまって、結果、小学3年生の頃にピッチャーに転向することに。ところがそれが自分に合っていたのかしっくりきて楽しかったんです。それ以降、野球は中学までクラブチームで続けました。

(写真左)ピッチャー転向以降、さらに野球が楽しくなっていった河野さん。
(写真右)野球選手への憧れいっぱいだった頃の杉山さん。


Q.どんどん野球が楽しくなって、高校でも続けたいと思えるくらい夢中になったんですね?

【杉山さん】中学まで地元のクラブチーム「愛知岡崎ボーイズ」に所属し、チームを引っ張るバッターとして頑張ってきたこともあって、高校は愛知の強豪校に行きたいと思っていました。残念ながら叶いませんでしたが、春夏通算3回の甲子園出場を果たした実力校、愛知産業大学三河高校(岡崎市)に進学が決まりました。今だから言えますが、当時は自分の実力なら高校でも通用するんじゃないかと甘く考えていたところがあって(苦笑)。その考えは野球部に入ってあっさりとくつがえるほど、高校野球のレベルの高さに驚きました。毎日必死に食らいつく中で、しんどくて部活を辞めたくなった時もありましたが、親からの叱咤激励が支えになり、3年間やりきることができました。

【河野さん】高校でも野球をしたいと思ったのは、小学6年生の時に甲子園へ野球を見に行った時です。その時にたまたま観戦したのが創志学園高校の試合でした。岡山県を代表する強豪校で、プロ野球選手も多く輩出する学校だなんて、当時は全く知りませんでしたが、とにかく選手たちがカッコいい!プレー中はもちろんベンチにいる姿にも憧れを抱くほど見入ってしまいました。この時に「絶対に創志学園高校へ行く!」と決意。志望校として希望を言い続けた結果、縁あってスポーツ推薦が決まりました。でも地元・大阪を離れての寮生活。携帯電話の持参も禁止で不安でしたが、洗濯や掃除などを自分でやるようになって初めて親のありがたみを感じました。当然野球部もハイレベルな中での練習・試合の連続で、とにかく野球のことしか考えない「野球づけ」の3年間でした。


Q.それぞれ高校生活でがむしゃらに野球に打ち込む中で、大学進学についてはどんなタイミングで考え、決定しましたか?

【杉山さん】高校の野球部の監督が愛知学院大学出身で、そのつながりもあって硬式野球部に推薦いただきました。これが大学進学を具体的に意識したタイミングだったかもしれません。野球選手としてテレビに出たいという夢を抱きつつも、小・中・高校は目の前の野球にひたすら集中。大学野球については具体的な情報を把握していませんでしたし、ましてや高卒でプロを目指せるほど実力も自信もなかったので。それでも高校2年の時、愛知で名の知れたピッチャーから一打を放てたことを機に「もっとスゴい投手と対戦したい!」という気持ちは強くなりました。進学への不安はありましたが、実力を付けたいし、何より野球をやりたい。正式に愛知学院のスポーツ推薦入試を受け、入学しました。

【河野さん】大学進学は全く考えていませんでした。女手ひとつで僕を懸命に育ててくれた母に、これ以上無理をさせたくなかったんです。一方で、高校最後に悔いが残る試合をしてしまい、進路を迷っていたところはありました。3年の時に出場した全国高校野球選手権の岡山大会。甲子園出場をかけて負けられない準決勝の試合で、チームは先制してリードを保っていたものの、8回裏で逆転。何とか9回表に同点に追いつき、延長戦に入った時にマウンドにあがったのが僕でした。絶対に抑えるべく必死で投げ続けましたが、延長11回で打たれ、敗退してしまったのです。
やりきった気持ちはあったものの、やっぱり野球は続けたい。そこで社会人野球チームに入団希望を出しましたが、当時はコロナ禍。急遽採用が中止になり、進路が白紙になったのです。頭の中が真っ白になりました。そんな最中に連絡をくださったのが、愛知学院大学硬式野球部の益田監督でした。以前から熱心に声をかけていただいていたこともあって、あらためて大学野球への後押しを受けました。母には高校に続いて負担をかけてしまうので、心が揺らぎましたが、誰よりも応援してくれる母や周囲の気持ちに応えようと、進学への決意を新たにしました。


Q.愛知学院大学硬式野球部でともにプレーすることになったわけですが、お互いの印象は?

(顔を見合わせて)めっちゃ悪かったよな(笑)。

【河野さん】典型的な陽キャで、初対面からいきなり距離感関係なくグイグイ話しかけてきた時点で「ムリだ!」と思いました。僕は少しずつ話して打ち解けていきたい性格なので。

【杉山さん】自分は全く人見知りをしないので、チームメイトみんなに話しかける中で、河野からは明らかに「イヤだ」という態度は伝わってきました(笑)。でもその後すぐ、4月〜6月にかけて行われた愛知大学野球春季リーグ戦で、距離が縮まるきっかけがあったんです。1年生ながら2人揃って春季リーグ戦に登板&スタメン出場できた上、自分はベストナイン、河野は新人賞を獲得!彼の実力を目の当たりにし、表彰式に向かう車中で再度話しかけると、野球に対する考え方や姿勢に共感しまくりで、リスペクトする気持ちが一気に高まりました。徐々に仲良くなっていき、今は一緒に出かけるほどの親友です。

【河野さん】この前は2人で大阪に行ったしな(笑)。春季リーグ戦の表彰では他大学は2〜4年生が選ばれる中、1年生は自分たちだけだったし、実力だけではなく、杉山の野球に対する真っ直ぐで、真剣に向き合う姿勢は僕も尊敬しています。


Q.1年生から早々に春季リーグ戦で結果を出した2人ですが、高校までやってきた野球と大学野球を比べて「違い」は感じましたか?

【杉山さん】もちろんです。高校では目の前の試合に出ることを目指して、毎日ひたすら練習していましたが、大学はそれだけでは通用しません。実力のある人たちが集まるのが大学。野球のレベルは格段に上がります。だからこそ現状に満足せず、「このままではダメだ」という危機感や焦りを持ちながら、今何が必要で、そのために何をするべきかを常に意識して取り組む。こうして大学に入って野球と自分に向き合い、「考える」時間が増えたおかげで、1年生の春季リーグからスタメンで結果を残すことができました。

その後も好調が続いていましたが、3年生になって急に打てなくなったんです。今まで大きなケガも不調もなかったので、初めてぶち当たった「壁」に戸惑いました。冷静に考えてみれば、良くも悪くもバッティングが変化していなかったんです。他大学のピッチャーに研究されていたわけですから、打てなくて当然です。スランプから脱却するには、これまでのバッティングスタイルを手放すしかない。勇気のいる決断でしたが、壁を乗り越えるためには必要な挑戦だと思って決めました。プロ野球選手の動画を見て研究したり、針治療でお世話になっている先生からアドバイスを受けたりしながら大幅に改善。スランプ前の感覚と気持ちが戻り始めました。

【河野さん】僕はほぼバッターをやったことないからピンとこないんやけど、試合の日の朝、起きた時に「今日はいける(打てる)!」って分かるの、ほんまなん?

【杉山さん】うん。感覚的なものだけど「何か今日は変な感じ」とか、バットを握っても、打席に入る前からも、打てる・打てないが分かる。野球はやっぱりメンタルも大きく影響するスポーツ。「打てないかも」という不安は自然と体に出るし、そんな心持ちだから打てない状態が連鎖してスランプに陥る。だから「三打席三振でも、最後の打席でホームランを打てばヒーローになれる!」という考えで打席に入るようにしたら、いい感じで肩の力が抜けて結果が出るようになった。3年の秋季リーグ戦の後半では、ホームラン2本も打てたしね!

【河野さん】確かにピッチャーでも「体のバランスが悪いな」と感じる日はあるけど、登板する試合が決まれば逆算して調整していくから、バッターほど調子の良し悪しはないかも。杉山はムードメーカーだから、打つと絶対に盛り上がるし、試合の空気をガラッと変えるチカラを持った選手。彼のようにやるべきことを確実に「やる選手」と「やらない選手」がいることを大学に入って実感しました。高校以上に自主性が求められる分、自分で考えて練習に取り組まないと全く伸びずに終わってしまいます。ピッチャーは試合で打たれて点を取られたら、その後どれだけいいピッチングをしてもゼロにはできない。試合を作る技術、メンタル、体づくり(増量)の面でも高校以上に苦労しました。


Q.多忙な野球部での活動と大学の学びとの両立で苦労はありましたか?

【河野さん】野球中心の大学生活だったので、先輩に時間割を組むポイントなどを聞いて、とにかく講義にしっかり出席し、単位を取るのに必死でした。卒論は、宗教文化学科なので『現代日本人の多くが自らを無宗教だと標榜するのはなぜか』というテーマで取り組みました。無宗教だと言いつつも、何かにすがろうとする人間の心理や時代背景などを研究するのは面白そうだと思ったのですが…実際はとても難しかったですね。無事に提出できましたけど(笑)。

【杉山さん】自分も精一杯でした(苦笑)。心理学部は幅広い分野を学ぶので、講義に出席しても内容を理解するのがかなり難しく、単位の取得もひと苦労。親は勉強が疎かになることを決して許さなかったので、野球を続けるために必死でした。とはいえ両立でしんどい中、心理学部の塚本先生には本当に助けられました。学生に寄り添う優しい人柄で、硬式野球部の試合も見に来てくださるほど。『文化心理学』という先生の講義では、日本と他国の文化や言語の違いに興味を持ち、卒論も『日本とアメリカのヒーローインタビューで見られる文化的価値観の違い』というテーマでやり遂げることができました。

【河野さん】学部は違うけど、塚本先生とは同じ関西出身ということもあって、僕も仲良くしていただきました!


Q.大学卒業後はプロとしての人生がスタートしますが、4年間を振り返って、どんな大学生活でしたか?

【河野さん】大学4年間でたくさんの賞をいただき、受賞した中でも特に嬉しかったのが、3年生の秋に愛知リーグでベストナインに選ばれた時です。また、大学最後のシーズンで秋季リーグ戦にて10年ぶり48回目の優勝に貢献できたことも忘れられません。僕を愛知学院大学に誘ってくださった益田監督を胴上げできましたし、とにかく気さくで温かい人柄の監督には、未熟な僕をまるっと受け入れていただき感謝しかありません。さらに監督がプロ野球選手で活躍し、その後スカウトを務めていた読売ジャイアンツさんからドラフト育成指名をいただきました。こうして学内外のたくさんの人に支えられ、応援してもらった4年間は、高校の時以上に感謝の気持ちでいっぱいですし、卒業後はプロ野球選手として、まずは支配下選手を目指してコツコツとやっていくのみです。

【杉山さん】振り返ると、入部した頃は野球部に慣れるのに苦しみました。早朝からグラウンドの整備、先輩たちの練習のサポート、夜遅くまで後片付けという毎日で、思うように練習ができない辛さでトイレで泣いた日もありました。そんな苦しい日々の中でもやり続けることができたのは、父の言葉があったからです。高校の部活の送迎中にボソッとつぶやいた「お前が野球をやっているから、俺も仕事を頑張れる」という一言。大学での野球生活を支えてくれた宝物のような言葉であり、これからの野球人生においてもお守りになると思います。4年間で首位打者1回、ベストナイン3回、リーグ戦通算100本安打達成、侍JAPAN大学日本代表選出、最後に千葉ロッテマリーンズさんから育成指名も受け、これ以上ない充実した大学生活でした。

【河野さん】周囲から「(2人とも)プロに進めるかもしれない」と言われ始めたのが3年生の頃。プロを目指すことが現実的な目標となり、実際に指名への関心の表れともいえる調査書は、お互い12球団中9球団から届き、期待に胸が高鳴りました。「2人揃ってプロ」が目標だったこともあり、ドラフト会議当日は、祈るような気持ちで名前を呼ばれるまで待ちました。結果、一緒にプロの世界に進むことができて本当に嬉しかったです。

【杉山さん】唯一心残りがあるとすれば、学生野球日本一を決める明治神宮野球大会に出場できなかったことです。高校野球でいう甲子園と同じくらい憧れの場所。注目度・知名度ともに高い大学野球の頂点を決める大会で、プレーしたかったですね。
今回、プロ野球の世界に進むことについて、父が一番喜んでくれました。昔も今も変わらず、野球に取り組む自分の姿が父の頑張る原動力になっている。そのことをあらためて実感したことで、テレビに出て活躍する姿を見せることで恩返ししたいと思っています。そして、父を含めてファンを楽しませるのがプロの仕事だと常々感じているので、結果を出すことで「野球(杉山)を見たいから今日一日、学校も仕事も頑張ろう!」とみんなをワクワクさせられる選手になるべく、練習に励みます!


Q.最後に、大学生活で野球を通じて様々な経験や挑戦をしてきた先輩として、これから進路を具体化する高校生に向けてメッセージをお願いします。

【河野さん】高校を卒業して、どんな進路を選択しようとも、目標を見つけて過ごすことはとても大切だと感じます。とはいえ、高校生のうちから明確な夢や目標を持っている人は少ないですし、たとえ今見つからなくても悲観したり、焦ったりしなくてもいいと思います。僕の場合、野球をもっとやりたいという気持ちから思いがけず大学進学することになりましたが、進学して野球をするうちに「あの試合で登板したい」「賞をとりたい」といった小さな目標が生まれ、挑戦し、積み重ねた先に「プロ」という大きな目標を見つけられました。

もし大学4年間で見つけることができれば幸運なことですし、目標があると挑戦も努力もできます。けれども「何になりたいか」以上に、「どんな人間になりたいか」を見つける方が遥かに大事であることを宗教文化学科で学びました。大学ならそれを考えるチャンスが溢れていますし、「なりたい自分」を見つけるために進学するのもいいかもしれませんよ。

【杉山さん】大学4年間はとにかく「やってみる」ことを胸に過ごしました。夢や目標を叶えている人はみんな「挑戦」しているから。成功も失敗もありますが、挑戦したからこそ分かること、見つかるものは想像以上にたくさんあります。

大人から「若いうちに挑戦しなさい」と言われ、面倒だったり失敗するのが怖いと感じたりする人もいるかもしれません。でもその言葉の裏には、挑戦しなかった後悔や、挑戦したからこそ得られた喜びを知っていて、「やっておけばよかった」と悔いてほしくない一心で言っているのではないかと思うんです。挑戦して、どんなことがあっても頑張りたいと思える「何か」を見つけることができたら、本当に幸せなことだと思います。大学進学がそのきっかけの1つになるかもしれませんし、自分の場合は野球を通して、さらに先の夢や目標を見つけることができました。たとえ小さな挑戦でも、その一歩が必ず未来を変える。そう信じて、思いきってチャレンジしてほしいなと思います。


これからも愛知学院大学のホットなトピックスを配信して行きます。
お楽しみに!
また今後、取り上げてほしいテーマなどありましたら、
リクエストください。

リクエストする!