#027
2023.11.20
サッカー審判員1級取得と小学校教員をめざして、
志ある仲間たちと切磋琢磨する日々。
心身科学部(※) 健康科学科横井 瑠真 さん ※2023年4月 健康科学部に名称変更
「体育の授業は苦手だけど、外遊びは好きだから」という理由でなんとなく始めたサッカー。続けていくうちにサッカー審判員活動の面白さと体育教員になる夢にめざめた横井さんに、夢に出会い、その夢を育てる道程をインタビューしました。
誰ひとり取り残されない授業に出会う。苦手が得意に!
小学生のときから走ったり、外で遊んだりすることは好きだったけれど、ひとつのスポーツにみんなで取り組み技術の上達を図る活動が自分に合わなくて、体育の授業は苦手でした。体育はほかの教科と比べても、できる、できないがはっきりついてしまう教科。練習してもできないまま取り残されてしまったので、非常に苦手な科目だったんです。
苦手が得意に変わったのは、中学校1年生のとき。それまで受けていた体育の授業とは全く違いました。50分の授業を通して、できない人を取り残すことなく、クラス全員が最低目標をクリアすることを目的とした授業と出会いました。教師だけでなく生徒同士での学び合いの授業を通して、できなかった種目が自分も周りも全員できるようになっていた。体育の授業が好きになった瞬間です。この経験を通じて、運動やスポーツができるという楽しさや喜びを自分自身も生徒に伝えていきたいと感じたのがきっかけで、中学校の保健体育教員をめざすことになりました。
教職免許取得&サッカー審判員活動の両立がかなう進路選択。
サッカーの審判員活動を始めたのも、ちょうど同じころ。小学校4年生のころ部活動でなんとなく始めたサッカーも中学生になると技術的に試合に出られないことが多くなりました。部活を変えようかと考えていたころ、試合に出ない選手で審判を回すことになって、僕は副審という立場で顧問の先生と一緒に審判をやったんです。その面白さに目覚めてしまい、自分で審判員4級を取りに行きました。
高校入学後1年生で3級がとれたので、次は卒業までに2級をめざそうと育成組織の『AIFAレフェリーアカデミー』に参加。そこで、審判指導員として参加していた青山健太先生(愛知学院大学 教養部)に出会いました。「保健体育教員をめざし、審判活動も継続するなら愛知学院大学へ来ないか」とお誘いをいただいて、愛知学院大学 健康科学科を志望することにしました。
JFA東海地域レフェリーアカデミーに参加。仲間に出会う。
大学2年生からはサッカー審判員1級取得をめざすエリートプログラムに参加し、志を同じくする仲間と出会いました。参加者は皆サッカーを愛し、活動に情熱をもっていて、主体性のある人たちばかり。毎週土日の審判活動に加えて月1回土日仲間と集まって実技トレーニング、月1回はオンライン研修。栄養学やゲーム分析、試合の裏事情などその道の専門家から多くのことを学びました。エリートプログラムの仲間とは研修終了後もチャットでよく会話しています。自分のジャッジに対する選手の反応を共有して意見をもらったり、ありがたい存在です。
サッカー審判員の醍醐味は、いい試合を一番近くで見られること。
サッカー審判員は級が上がるごとに活動できるエリアが広がるという仕組みで、4級・3級は都道府県リーグ、2級は地域リーグ、1級は全国大会とレベルがあがるんです。級が上がるごとに好ゲームで活動することができるようになり、モチベーションがあがります。
審判の役割は、選手がプレーしやすい環境をつくること。コートのなかの22人の選手が試合に集中できるよう、適切なジャッジとともに納得感ある説明をし選手らと良いコミュニケーションがとれるか、プレーとは関係ないことはプレーヤーではなく審判の仕事。選手にストレスを感じさせずに自分のプレーに集中してもらえるかが大事。そのために、適切な場所からみられるようスピードについていけるよう、もっといえば先回りして見られるよう身体能力を鍛えなくてはならないんです。
審判員は日々の自主トレーニングを基本的には個人で行わなければなりません。選手のようにボールを使った戦術練習やミニゲーム形式のトレーニングもなく、ランニングやインターバル走、筋力トレーニングが主となり、どれも孤独できついものばかり。手を抜こうと思えばいくらでもラクをすることができますが、手を抜いてしまえば試合で選手に迷惑をかけることに繋がってしまいます。選手は試合に向けて一生懸命トレーニングを行い準備している。自分が原因で試合を壊したくない思いで、毎日トレーニングに励んでいます。
「支える」観点で関わったサッカーフェスティバルでの気づき。
大学1年生のとき、SDGsをテーマに小学生をターゲットにした地域連携イベント「AGU CUP 2020」に審判員として参加。一般的なサッカーフェスティバルとは異なり、サッカーとSDGsがコラボしたフェスティバル。「する」という観点ではなく「支える」という観点で関わったのは初めての経験で気づきも多かったです。楽しかった!で終わってしまうのではなく、「運動をはじめてみよう」「スポーツに関わろう」「身近な環境問題について考えてみよう」と参加した後の生活に生かしていけるような企画をすることの重要さを感じました。
自分の学びたい分野だからこそ能動的に学ぶことができるように。
大学2年生になると、体育の実技が多くなりました。健康科学科は教員1名につき学生は15~20名くらい。少人数だから個別指導してもらえるし、質問もしやすい。自分が中学生・高校生のころの授業と比べ自分が指導者であったらどのような指導を行うかを考えながら授業に参加しています。能動的に学ぶことができるようになった点が高校時代と比べ一番変わったことですね。
サッカー審判活動の経験が大いに役立った教育実習。
教育実習は3週間、地元の中学校に行きました。2週目から5クラスの授業を任されたのですが、5回準備して5回授業してもクラスによって反応が全然違う。こっちのクラスでは反応があったのに、こっちのクラスでは響かないと落ち込むことも。クラスごとに雰囲気が異なり、クラスの特性に応じた工夫をしていかないと…と気づきました。それからは、クラスの子一人ひとりと関わることを大切にしました。授業以外の何気ない会話を積み重ねていくと、徐々に生徒一人ひとりの個性やクラスごとの個性をつかめてきました。そして、手を挙げてくれるクラスにはこういう質問をすると反応があるとか、手を挙げてくれないクラスは質問するのではなく選択肢を提示するとか、クラスごとに仕掛けをどうしていくかを工夫しました。
相手に応じて言動を変えていくのは、試合によって臨機応変に変えていく審判活動で培った経験が生きるんです。選手と話すときも、人によって通じたり通じなかったり。正解はなくて、これはまずかったなと思ったら変えていく。その繰り返しなんです。審判活動も続けていて良かったなと思いました。
東浦町ボランティアをきっかけに小学校教員をめざすことに。
大学2年生が終わった春、1年後に控えた教育実習や教員採用試験に向けて教職に関する活動をしてみたいと考えていたところ、学内の教職支援センターで愛知県東浦町の学生ボランティアを募集していることを知り応募。僕は、自分が教育実習で体験することができない小学校の方に参加。この活動を通して自分自身の夢は、「中学校の保健体育教員」から「小学校教員」へと変わりました。中学校とは異なり、小学校はほとんどの教科を担任が指導。教科数が増える一方で中学校よりも担任を持つ子どもたちと接する時間が多くなるため、より一人ひとりの個性を大切にした授業展開ができたり日常生活のなかで深く関わることができると感じたからです。
やっていくなかで新しいものが見つかる。子どもたちに伝えたい。
これまで小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と関わる人はさまざまですが、活動を通して出会う人が自分が支援をすることによってスポーツを楽しむきっかけになったり、学習で困難を感じている生徒の支援をしたときにできなかったことができるようになり、一緒に喜ぶことができたとき、僕はやっていてよかったなと感じます。
やりたいと思ったことは、やってみることが大事。うまくいかなくても続けていくなかで、新しいものが見つかることがある。僕は子どもたちに伝えていきたいし、子どもたちのやりたいを支えていきたい。あきらめずに頑張ります!!