#018
2023.01.20
プロバスケットチームのイベントを企画。大学で大きく変わった将来の夢。
健康科学部健康科学科※4年生森 祐太 さん
教員になることを目指していた森さんは、大学で「スポーツ政策論」を学んだことをきっかけにスポーツを通した「地域活性化」に興味をもち、ゼミの活動を通して将来の道を大きく変更。
地元の新聞社で地域活性に貢献する進む道に進むことにした理由やゼミの活動についてインタビュー。また準硬式野球の部活で全日本選抜チームに選ばれるほどの実力を持つ森さんにゼミと野球への思いを語っていただきました。
15年間続けた野球。将来は教員を目指して。
大学生になるまで、将来はスポーツや体育を教える教員になることを目指していました。
教員を目指した理由は純粋にスポーツが好きだったから。小学校1年生の時から今年引退するまで野球を続けるほどスポーツが好きなので「好きな野球を教えたい」という気持ちがありました。また、学生時代にお世話になった先生方の姿から「人を導く仕事」というイメージがあり、教員という仕事に憧れもありました。
大学で見つけた将来の新しい選択肢。
教員をめざして大学に入学しましたが、講義や課外活動を通して大きく考え方が変わりました。高校生の時は、まさか将来新聞社で働くなんて思ってもみなかったです。
将来の方向性を変えることになったきっかけの一つが「スポーツ政策論」の講義。この講義は「地域のスポーツ振興」をテーマにスポーツと社会の関わりについて学ぶのですが、スポーツを通して「地域活性化」ができるということを初めて知りました。
スポーツに関わる仕事はスポーツ選手になることや人に教えるというイメージしかなかったので、「地域活性化」という考え方は新しい発見でした。この講義を受けたことで「教員」という一本の道しか見えていなかったところに新しい選択肢が広がりました。
新しい道に進む決意。「地域活性化」への思い強く。
地域活性化に興味があったので、ゼミはスポーツイベントに関わることができる内藤ゼミを選びました。
内藤ゼミは同じ学年の学生12名が所属していて、①Instagram運営②⼩学⽣のサッカー⼤会「AGUCUP」の企画・運営③B.LEAGUE所属のプロバスケットボールチーム「シーホース三河」のゲームサポートの3チームに分かれます。
わたしは「シーホース三河」のチームになり、パネル製作など広報物の制作をメインに担当することになりました。担当はあるものの、イベントにはチーム一丸となって取り組みます。企画からプレゼン、当日の運営、撤収まですべての流れに関わるので、毎日が初めての連続。野球もバイトも続けながらゼミの活動をすることは体力的にも精神的にもキツイと感じる時もありましたが、この経験を経て「地域活性化」への思いを強くすることになりました。
シーホース三河の「全力三河感謝祭のイベント」に参加
イベント運営の裏側。
ゲームサポートの主な仕事はホーム戦のサポート全般と愛知学院大学とシーホース三河のコラボイベントの企画と運営です。
試合のサポートといっても当日だけ参加すればいいというわけではありません。試合は土日に行われるので会場や掲示物の設営を前日に行い、撤収を試合が終わってから行うので、ときには夜遅くなることも。そのため、ホーム戦があるときは金曜~日曜の3日間、ほぼ終日この活動に費やし、月曜から学校が始まるので休む間がないほど忙しくなります。
しかし、1つのイベントを成功させるために多くの人が時間をかけ、熱い思いをもって準備されているということ、企画するときは準備期間や必要な人員、イベント後の効果など全体を考えなければならないことなど、このゼミを選んだことでたくさんの学びと経験を積むことができました。
ハーフタイムショーの出番待ち中
スポーツイベントの企画は失敗の連続。
コラボイベントはすべて学生が企画・運営しますが、企画を実現するにはシーホース三河の社員の方と社長にプレゼンをして許可を得なければなりません。
イベントの企画は初めてだったので、たくさんの失敗もありました。そもそも社会人の方にプレゼンをしたことがないので、何をどのように伝えたらいいのかもわからない状態。プレゼンの仕方や構成、資料づくり…すべてが手探りの中、チームで何度も何度もミーティングを重ねて企画書を作り上げていきました。
プレゼン資料の一部。Tiktokの認知度を分析・比較しました
SNSを活用したPRを提案!しかし実現するには課題山積。
今回わたしたちがプレゼンした内容は「SNSを活用してシーホース三河の認知度を上げる」ということ。SNSの活用を提案した理由は、シーホース三河のお客様は新規のお客様よりもリピーターが多いことから、新しくもっと若い世代の客層をとりこむため。
そこで、新しい客層にアピールして新規のお客様に来場していただくことを目的にSNSを使ったPRに着目しました。
しかし、課題や提案の大筋が決まっても、実際にどのようにPRするのか、予算はいくら必要なのか、準備期間は足りるのかなど…考えるたびに新たな課題が見つかり「本当に実現できるのか?」と感じる時もありました。
内藤先生やシーホース三河の方に相談させていただいて、何度も企画を練り直して何とか形にできましたが、イベントは企画するだけでも簡単なことではないと身に染みて感じました。
シーホース三河を盛り上げるためにInstagramで情報発信
「仕事をする」ことの厳しさ。
ようやく社長プレゼンまで進めましたが、ホッとしたのも束の間、新たな課題を指摘され、また企画を練り直すことに。
度重なる修正に心が折れそうになるときもありましたが、チームで何とか乗り越えることができました。プレゼンはとても厳しかったですが、学生同士では気づかないことを教えていただけましたし、お客様目線で考えることの大切さと難しさを痛感しました。
また、社員の方が仕事に責任をもって真摯に向き合う姿を見て、仕事をすることの厳しさを改めて感じた瞬間でもありました。
愛知学院大学とシーホース三河のコラボイベントを企画したチームメンバー
自分たちの企画を実現する面白さ。
わたしたちが企画したPR方法の一つがTTikTokやInstagramのショート動画でシーホース三河の情報を拡散すること。
選手やチアリーダーの皆さんにもご協力いただいて週に3~4回の頻度でアップしました。投稿内容、スケジュール管理、選手やチアリーダーの方に依頼する文書など、すべて自分たちで対応することは大変でしたが、SNSは反響が数値に現れるのでやりがいがありました。25,000回再生された動画もあり、自分たちの企画によって多くの方にシーホース三河のことを知っていただけて純粋に嬉しかったです。
またお客様にもイベントに参加していただけるようにTikTokブースも設置。撮影用のパネルやプレゼントも用意したところ、想定以上の方に参加していただけました。
くじけそうになることもありましたが、4人で時間をかけて試行錯誤してイベントを作り上げてきたので、健康科学科の中で一番仲がいいと思えるほど、信頼関係のあるチームになりました。
チアリーダーの方やマスコットにも協力していただいたTikTok
「教員」の道から「地域活性化」の道に進む決意。
ゼミの活動を通して「スポーツは地域を盛り上げる力がある」ということを実感しました。そして将来の目標を「教員」から「地域活性化に貢献できる仕事」に大きく舵を切りました。
ずっと教員の道を目指してきたのですごく迷いましたが、二兎は負えないと思い、3年生の途中で教職課程を辞めて、思い切って地域活性に貢献できる仕事に絞って就活することにしました。
野球を続けてつかみとったチャンス。
大学ではゼミの活動の他に「準硬式野球」の部活にも力をいれていました。ポジションは小学校の頃からずっとキャッチャー。チームとしては東海選手権で優勝し、全国大会でベスト8に入ることができました。個人では全日本選抜チームに選ばれ、11月に国際交流としてオーストラリア遠征に参加することもできました。
学校とバイトと野球を続けることは簡単ではありませんでしたが、野球を続けてきたからこそできた経験や大切なチームメイトと出会えたので、続けてきてよかったと思っています。
愛知学院大学準硬式野球部のメンバー
ものごとを俯瞰で見る力。
チームの役割としては副キャプテンを務めていました。高校までと大きく違うことは監督も含めてすべて自分たちでチームを作っていくということ。今までは監督の指示に従ってプレイし、監督に相談しながらチームを築いていきましたが、大学では自分たちで強いチームを作っていく必要があります。そのため、学年に関係なくコミュニケーションがとりやすい環境を作ることを大切にしていました。
後輩に「やらせる」のではなく、グラウンドの整備も道具の管理も皆でして、自分自身は誰よりも早く朝練を始めるなど、先輩・後輩の垣根が高くならないように心がけていました。そのような姿を見てくれていたのか、後輩たちも協力的で団結力のあるいいチームになりました。
すべての役割を自分たちで行うこと、また副キャプテンを務めることでチームメイトの体調や試合の状況、相手チームの情報など、ものごとを俯瞰的に観察できるようになりました。キャプテンがしっかりとチームの内部を統制して牽引する役割を担っているからこそ、自分は副キャプテンとしてやるべきことや課題がみえてきました。このバランスはチームワークがとれているからこそできたことだと思います。
オーストラリア遠征ではとても貴重な経験ができました
涙が止まらなくなるほどの悔しさをバネに。
野球では多くの経験ができましたが、一番悔しかったのは大学3年生のリーグ戦で敗退してしまったことです。
1部・2部の入れ替え戦の大事な戦い。負けてしまったら引退するチームメイトもいるので、何が何でも勝ちたいと思っていました。ところが、最後の最後で自分がエラーをしてしまい敗退することに…試合が終わった後はあまりの悔しさで涙がとまらず「自分がミスさえしなかったら…」と思うとしばらく立ち直れませんでした。しかし、県内の名将に会いに行き練習に参加させてもらい、誰よりも練習を重ねることで「後悔だけでは終わらせない」というように気持ちを切り替えられるようになりました。
結果的に、翌年の春、東海選手権で優勝し全日本選手権ベスト8、この結果を評価して頂きオーストラリア遠征に参加することにもつながったので、あの経験があるからこそ今があると考えられるようになりました。たとえうまくいかなかったとしても諦めず、最後の最後まで力を尽くす。その気持ちがあれば、どんなことも未来につながると自分のことを信じられるようになりました。
初めて知ったマスコミ業界の仕事。
野球やゼミの活動を通して「地域活性化」に興味をもったものの、どのような仕事があるのかわからなかったので、まずは企業の合同説明会に参加しました。そこで出会ったのが内定先である「岐阜新聞社」です。正直にいうと新聞社の仕事は「記者」というイメージしかなかったのですが、新聞社が企画・タイアップしてマラソン大会や花火大会などのイベントや行事を行っているということを知り、自分が目指す地域活性化のイメージに近いと思い、新聞社で働きたいと考えるようになりました。
夢を実現させるために努力する日々。
就きたい仕事が見つかってからは、できる限りのことはやろうと決意しました。
まずは岐阜新聞社の説明会にはすべて参加。エントリーが始まる前に採用担当の方に名前を覚えてもらうまでの関係を築きました。またキャリアセンターに通いつめてエントリーシートや小論文の添削、面接対策などできることはすべて対策しました。
受付の時間外でも電話で指導してくださったり、皆さんが面接練習をしてくださったり、キャリアセンター全体で就活を支援してくださったことは本当に感謝しています。実際の面接ではしっかり対策をとった甲斐があって、予想外の質問をされても冷静に答えることができました。
就活や面接に対して辛いイメージを持つ人が多いですが、わたしは就活を楽しんでいました。全く知らない企業の仕事や企業理念を知ることができますし、面接は緊張しながらも言葉のキャッチボールを楽しんでいました。就活を前向きにとらえてどんな状況でも楽しみながら挑戦したことで、結果的に第一志望の岐阜新聞社から内定をもらうことができました
キャリアセンターには履歴書や小論文の添削、面接対策まで手厚いサポートがあります
地域活性に貢献できる人材になるために。
わたしは野球を通して努力することや能動的に行動することが周囲の人たちと信頼関係を築くことにつながるということを学びました。
社会人になってからも努力と行動を重ねる事で、自分を信じて仕事を任せてもらえるようになっていきたい。そしていつか地元である岐阜県を活性化できるような仕事に携わりたいと考えています。
これから大学進学を目指す皆さんへ。
進路を決めるときに「スポーツは好きだけどそれを将来にどう活かせばいいかわからない」と思う人もいると思います。
大学にはたくさんのチャンスが転がっています。そのチャンスをどのように活かすのか、将来につなげるのかは自分次第。わたしは大学でできることをフル活用して、やりたいことを見つけました。
アルバイトやボランティア、インターンシップなどの課外活動に積極的に参加し、色々なことに挑戦するとたくさんの人に出会えます。そして+αの力をつけて将来のことを考えればきっと可能性は広がります。「好き」という気持ちを大切に。そうすればきっと「好き」と「将来」がつながるはずです。
※2023年4月 健康科学部に名称変更